2012年11月19日月曜日

カジュアルプレイとは(MTG)

「カジュアルにプレイする」事は「競技志向」と相反する。らしい。
しかし、「競技志向でない事」は「勝利に向かわない」事ではない筈だ。

僕には敗北主義にも似た醜い思想が「カジュアル・プレイ」という耳障りの良い言い訳に隠蔽されている様にも見える。楽しみ方にも人色々だし、初心者がゲームを学ぶ為にはカジュアルプレイが不可欠だと思うが、それにしても野心無さ過ぎじゃないですかね皆さん。

カジュアル・プレイで勝ちを目指して何が悪い。
やる気の無さにちょっとカチンと来たので僕の思うカジュアルをまとめてみる。


1. 「プレイスタイルの選択肢」としてのカジュアル

恐らく、カジュアルを選んだ理由の殆どは「競技志向から離れたい」という事だろう。その考えそのものは悪じゃないと思う。競技プレイは神経使うし、たまには気楽に楽しみたい。僕だってそうだ。トーナメントシーンに出てこない「良い意味での」クソカードをフィーチャーしてみたり、陽の目の当たらないクソコンボを狙ってみたり、良い意味で生産性の無いクソデッキを思いのまま使う事は非常に楽しい。そういうのは凄く良いと思う。
しかし、「ジョークカード」や「開発陣が気が触れちゃった結果爆誕した燃えるゴミ」で無い限り、殆どのカードは「眼の前に立ち塞がる」対戦相手を叩きのめすために設計された筈だ。そうであると信じたい。<s>え?どうみても産廃?そんなのは知るか。</s>問題にしたいのは「相手を倒す為のカード」を「相手を倒す為の選択肢」として使わない事だ。「勝ちを目指さないカジュアル」ほど愚かな事はないと思う。よくデッキ診断とかで「お前勝つ気あんのか」との問に「カジュアル」だからと返してるのを見るけど、カジュアルだからといって勝つ気の無い束を作って許されるのか。別にプロツアーでマネーフィニッシュしろとか言わないからさ、最低限「勝つ為の工夫」とかしようよ。
最近だとEDHで「カジュアルフォーマットなのに無限コンボや瞬殺デッキで勝ちに行くとか空気読めよクソ野郎」的なアレで大分揉めたが、そもそも「多人数でワイワイ遊ぶ」時点でカジュアルなんだからその大前提さえ守っていればその過程とか手段とかどうでも良いんじゃないかな。最終的に楽しく始まって、楽しく終われば良いんだ。

で、楽しく勝つ為には?「楽しく勝つ」為のカジュアルをすれば良い。
だがそこにたどり着くのは難しい。初心者とかどうやって遊べばいいんだっつーの。

そこで。


2. 「楽に」楽しむ為のカジュアル

勝つ事は楽しくて、負ける事は楽しくない。それが圧倒的なら尚更だ。
ならば勝つ為のハードルを下げてみよう。
Pauperのような「貧乏フォーマット」でも良いし、資産差の生まれにくいカジュアル・リミテッド(構築済みデッキを使ったオープンデュエルとか、シールドとか、パックウォーズとか・・・)でも良い。陽の目の当たらないカードや、縁の下的コモンを使って楽しく遊べる良い機会だ。ゲームを学ぶきっかけにもなるし。
僕は初心者に「アレとアレとアレを揃えてガチデッキ作れ」なんて口が滑っても言えない。劇薬過ぎるもん。それよりは段階踏んで色んなカードを触りながら最終的に「やりたい事」を実現すれば良い。カジュアルフォーマットはその為の窓口になれる。それを切り捨てるなんてとんでも無い事。

ん、どうしたのその札束で出来た紙束は。
デッキ?へー。これどうやって勝つの?


3. 「僕の楽しみ」の押し売り系カジュアル

ん?勝たなくても良いからこれで遊びたい?あーそう。すごいねー。
いや、折角だから出して勝てるように・・・・・・

勝てるように作るなんてガチな事したくない?うるさいなぁもう。

やっても面白くないから向こうでやっててよ。
若しくは大会で当たってね。ナチュラル1byeだから。